私は平成14年10月、先代社長林克巳より社長職を引き継ぎました。
父林敏生から数えて3代目となります。
私には東洋印刷の社長という公の顔の他にもう一つの顔があります。
それは趣味の世界ですが、「茨城交響楽団」の副団長であり、ヴァイオリン奏者、日立交響楽団及びズブロッカ弦楽四重奏団ではヴィオラを弾いております。
そもそも私がヴァイオリンを弾くようになったのは、父の影響です。
父は明治41年生まれ、当時としてはハイカラボーイ(と自分で語っていました)だったようで、「水戸マンドーラ」というマンドリンアンサンブルを主宰していて、遠く大子町まで演奏に行ったそうです。
マンドリンは今でこそマイナーな楽器(有名なのは明治大学マンドリンクラブくらいでしょうか)ですが、当時はなかなかどうして、けっこうな人気楽器だったようです。
このマンドリンという楽器、実は調弦がヴァイオリンと同じG-D-A-Eなので、右手をピックから弓に持ち替えれば、あるていどは弾けてしまいます。
そのせいか父はマンドリンとヴァイオリンを持っていまして、どちらもプロ級だったと自慢をしていましたが、実際その演奏を聴いたこともありませんし、勿論録音もありませんので眉唾ものです。
その父が私をヴァイオリン教室へ入れたのです。小学校1年生でした。
それから中学1年まで6年間レッスンをしてくれたのは武蔵野音楽大学を出たばかりの若い女性ヴァイオリ二スト、藤島弘子女史でした。
弟子の中には、ちゃんと音楽大学へ進み、プロになった人もいましたが、私は才能もなく、あまり好きでもなく、友達と野球をしているほうが楽しいくらいでした。
そんな私でしたが、水戸一高時代に変わりました。
現在ドイツのケルン放送交響楽団のトップコントラバス奏者河原泰則さんとの出会いです。
河原さんは学年で一年先輩、水戸一高に初めて弦楽アンサンブルを作りました。そこへ私を誘ったのです。
その後私が一橋大学へ進んだのも、河原さんを慕ってことだったのかもしれません。
当時の一橋大学は、学園紛争の真只中で、授業は殆ど休講で、オーケストラの部室へ入り浸りの毎日でした。
河原さんは卒業後、桐朋学園からベルリン留学、プロへの道を歩みました。
私は水戸へ帰って家業である東洋印刷へ入ったのです。
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